奈良吉野の移住登山ガイド ちくちゅーの日記

山が好きで、山に住んでみたくて移住しました。山暮らし、ガイド報告、登山ネタetc.

自宅から登山・衣笠山周辺周遊

ぽっかりと予定があき、急にフリーな時間ができた。それならばということで、ここ最近構想を温めていた「自宅から登山開始して自宅に下山する」企画を実行することにした。厳密にはちょっと道路歩きもあるけれど、自宅からほぼ即入山できるのは山村ならではの面白さだと思う。

コースは、地図を眺めていて気になった以下のポイントを繋ぐ、8の字周遊コースを計画した。

  • 周辺の盟主的な山「衣笠山
  • 衣笠山の北東に位置する謎の池
  • 吉野川と高見川の合流点の岬(地図のポイントはその上のピークを指している)

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まずは自宅の裏山を登っていく。最近引っ越してきたばかりなので山に入っていく場所がわからず、地元の方に教えてもらう。昔は山越えの道があり、隣村との往来があったらしい。

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集落の最上段の空き家横から山に入っていく。荒れてはいるが踏み跡は残っており、かなり上の方まで石垣が残っていて驚く。昔はここにも人が住んでいたのか。

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踏み跡はずっと残っており、無事川上村と吉野町の境の尾根に到着。境界を示す石柱があった。

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反対側の吉野町側の道も生きており、それをたどって謎の池を目指す。途中、林道が出てきて一瞬わからなくなったが、境界の杭を見つけてルート上に復帰。たどりついた池はほとんど水はなく、沼地のようだった。写真で黒い点のようなところは、水を通すための人工的な穴があけられていた。昔は水源として整備されていたのだろうか?

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ここから境界を外れ、北側の神社マーク目指して適当に下っていく。こちら側も下るにつれ石垣が出てきて驚いた。狙い通り、お宮の裏側に出てくることができた。

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一旦下山し、吉野町国栖の街中を歩いていく。できればここで昼食をとりたかったが、精肉店のコロッケは在庫がなく、グーグルマップに載っていた寿司屋は廃業ということで空振りに終わる。

トンネルをくぐり、国栖奏で知られる浄見原神社を目指す。といってもこれまで国栖奏が何なのかよくわかっておらず、今回道中の看板を読んではじめてその由来を知った。かつては宮中への奉奏などがあったそうで、機会があればぜひ一度観てみたい。

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浄見原神社の裏手は地形図で見ると急峻で、実際に岩がちで山に入れるのか道中心配になっていた。神社の裏手を薮漕ぎは罰当たりだろうかなどと心配していたが、実際には植林帯に入っていく踏み跡があり、それをたどって無理なく吉野川の河原に下りることができた。

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そのまま河原を歩いて吉野川(左)・高見川(右)の合流点に到着。振り返って山に入っていく。尾根の末端まで植林されており、道があった。やはりここでも山の中には石垣があった。

289mの小ピークは特に標識などなし。ここで鋭角に曲がる必要があったが気づかず直進してしまい、すぐに気づいて軌道修正。途中、これから登る衣笠山の美しい姿を見ることができた。

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さきほど通ったトンネルの上の峠(十王峠)を通過する。麓の看板には「イボトリ地蔵・イボトリ水」と書いてあったが、どのような由来があるのだろうか。

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尾根の上はずっと植林帯で多少薮っぽいものの通行に支障はなし。衣笠山の頂上直下は岩がちであった。途中、標高370m地点で雪をみかけてびっくり。この標高で雪があるとは。

たどり着いた衣笠山頂上は樹林におおわれ視界なし。お手製の標識がいくつかかかっていた。

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少し東に移動すると、川上村の「匠の聚(むら)」が樹間に見えていた。わかりづらいがコテージが5棟並んでいるのが写っている。

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南側の大蔵神社めがけて、適当に下っていく。途中、これも地形図で気になっていた衣笠山南の平坦地に何かあるかと寄ってみたが、間伐された樹が倒れているだけで特に収穫はなし。

大蔵神社はこんな山の中にこんな立派なお宮が、と思わされる本当に迫力ある姿だった。写真以外にも庭園や小さなお宮などがありかなり広い。

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名勝に指定されるのも納得。場所が場所なら参拝者が絶えないのでは…と思わされた。

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大蔵神社には麓から細い林道が上がってきていたが、自宅方向とは逆に向かっているように見えたため、神社からまっすぐ下りる踏み跡をたどった。

麓の廃屋でこんなものを見かける。飯高というと三重県の地名で、やはりここらへんは三重との繋がりが強かったんだと実感。今回のテーマとは直接関係ないが、昔は奈良の山奥といっても山を越えればすぐに三重で、意外と便利だったという話を聞くことがある。

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道路に下りてきて、ちょうどあった自販機でひさしぶりにジュースを買う。お疲れさまでした。

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現在の大蔵神社はすっかり樹木が伸びてしまっているが、かつては吉野川と、吉野川対岸の山を借景にしていたらしい。当時はこんな景色だったのだろうか、と考えながら川沿いの道を歩いた。ちなみに見えているピークは匠の聚東側の名もなき小ピーク。この右側に白倉山があるが、方向的に借景となっていたのはこちらの小ピークの方では? 現代では誰も見向きもしないような小ピークが、昔は美しい景色の一部として捉えられていたとしたら興味深い。

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近所の方に、山を越えて吉野町にいってきた、大蔵神社がすごかったという報告をすると、「あの神社は昔は川上村のやってん。太鼓台担いでな、吉野町と勝負してずっと勝っててん。でもあるときお宮を賭けて勝負したときに油断して負けてしもうてな、そんでいまは吉野町のものやねん」という話を聞かせてもらう。こんなどこにも載っていない面白い話がたくさんあるのかもしれない。

最近、仕事か仕事の下見でしか山に行っていなかったため、ひさびさに自分の歩きたいところを思うように歩けて満足した。こんな里山をひとりさまよったところで一銭の得にもならないが、自分の中の世界は確実に広がっていく。衣笠山が高かろうが低かろうが、有名だろうが無名だろうがそんなことは関係なく、自分の思い入れあるルートを想像し、計画し、実行するというこの一連のプロセスこそが大事なのだと思った次第。

 今回歩いて気になった尾根があったので、次回はそこを訪れてみたい。このよい連鎖をできるだけ繋いでいきたいものだ。