食えるようになったら何を目指すか
先日、奈良県主催の地域おこし協力隊向け研修会に、パネルディスカッションのパネラーとして呼んでいただきました。明言されたわけではないのですが、協力隊を卒業して独立起業した一例として、声をかけていただいたものと思っています。
いろいろな話題がありましたが、おせっかいとは思いつつ、最後に会場に投げかけたのが「真面目にやっていれば『食っていける』レベルには案外すぐにいける。でも問題はその後。食っていけるようになったら、何を目指すか。そのビジョンを考えることが必要」という話。
当日は自分自身考えをまとめながらだったので、↑のようにうまくは言えなかったですが…。
協力隊卒業後にその地域で起業しますという場合、最大の不安が「果たしてこれで食っていけるのか」ということになると思います。食っていけるのレベルをどこに設定するのかにもよりますが。「アルバイトでも何でもして食っていく」のであれば、健康であればほとんどの場合はできると思います。ただやはり希望としては「自分の好きなことをしながら食っていきたい」というのがほとんどじゃないでしょうか。
自分の場合はそれがエコツアーガイド/登山ガイドということになります。さらに言うなら、「信州のようなメジャーな山岳地帯ではないここ吉野で、吉野らしいガイドと山暮らしのモデルを実践したい」ということになる。
まだ3月に協力隊を卒業して半年もたっていませんが、いまのところ生活できていて、なんとかやっていけるのかなという気がしてきています(冬の閑散期が終わらないと安心はできないですが)。そこで最近考えていたのが冒頭のテーマ。
年々考えも状況も変わるだろうし、最終的に100点満点という日は永遠にこない気もします。でも目先の生活だけでなく、そのちょっと先も考えてやっていきたいな、というのが「なんとか食えそう」という今の自分の気持ち。
↓当日使用したスライドの一部。こんなことやって、考えてます。
研修会2日目はカヌー体験のガイド。少しでも参加者の方のヒントになったのならうれしいです。
お互いそれぞれの地域でがんばっていきましょう~。
「大台ヶ原登録ガイド」講習会で考えた大台ヶ原のいま
先日8月27日(日)、奈良県上北山村で行われた大台ヶ原登録ガイド登録講習会に参加しました。これを機に、大台ヶ原ってどんな山なんだろう? なぜ今ガイド制度なんだろう? ということを自分なりに整理してみました。
まず、「大台ヶ原登録ガイド」とは、今年の10月から運用が始まる制度です。
大台ヶ原登録ガイド制度は、自然ガイドとして一定の要件を満たした方を登録し、登録ガイドと一緒に歩いて頂くことで、大台ヶ原を訪れる方々に、より安全・安心に、より深く自然を楽しんでいただくことを目的としています。
(大台ヶ原登録ガイドホームページより)
大台ヶ原の歴史は大峰山と比べるとそれほど深くはありません。大台ヶ原の入山の記録として、最も古いものは1708年に記録されているそうです。また記録は定かではないものの、紀州側(三重県側)の人々が生活のために、現在の西大台あたりまで入山していたと考えられるとのこと。
その後松浦武四郎の探検、古川嵩の開山の試みなどがあり、昭和11年(1936年)の国立公園指定、昭和36年(1961)年の大台ヶ原ドライブウェイ開通を経て、大台ヶ原は登山の山から観光の山へと変容していきました。
そこで現在、大台ヶ原で唱えられているのが「ワイズユース(賢明な利用)の山」ということ。(吉野熊野国立公園 大台ヶ原ホームページより)
紀伊半島本来の自然をよく残しているといわれる大台ヶ原ですが、現在は伊勢湾台風・ドライブウェイの開通による利用者増加・シカの増加などによって森林の衰退が進んでいます。そうした状況がある中で、森林の再生と利用との両立をはかるために導入されたのが、今回の登録ガイド制度である……という理解を個人的にはしています。
というわけで、大台ヶ原登録ガイドになるということは、単に資格が一つ増えたというような話ではなく、プロのガイドとして、利用者(登山者)に大台ヶ原の森林・生態系の貴重さや現状、それを守るために様々な人が活動をしていることを伝える最前線に立つことを意味するものと思います。
個人的にはやはりドライブウェイで頂上近くまであがれることがあり、登山の対象としては軽く見てしまっていた大台ヶ原ですが、今回の講習会での環境省の方や講師陣の熱い話を聞き、大台ヶ原を見直すきっかけとなりました。と、同時に、その魅力を余すことなく伝えることはそう簡単ではないなと、頭を抱えてもいるわけですが…。笑
とはいえ、ドライブウェイ終点につき車を下りた瞬間に感じる下界との空気の違い、森の瑞々しさ、頂上や展望台からの大展望etc…大台ヶ原には、言葉はなくとも通じる魅力が確実にあります。まずはいま一度大台ヶ原を歩いて、今回知った話を自分のものとしながら、背伸びしないガイディングをつくっていけたらいいなと思いました。
というわけで、熱が冷めないうちに、この秋は大台ヶ原に通いたいと思います。
ガイドは毎日同じことをやっていて飽きないのか問題
夏がきて、最近はすっかりケイビング(洞窟探検)のガイドに明け暮れている。カヤックもやっているけれど、最近はめっきり洞窟に偏っている。数えてみたら、8月に入ってからすでに10回も同じ洞窟に入っていた。いまのところ2日に1回は行っている計算になる。
洞窟に限らずだけど、ガイド仕事は覚えることがたくさんある。全体的な雰囲気づくり、スムーズな進行、的確な解説、安全確保etc...
ケイビングガイドではもちろん安全確保や洞窟の成り立ちの説明などもするけれど、お客様の思い出に残るいい写真をとるのも仕事のひとつ。これはライトを変えたりして、だんだんとよくなってきた。
入っているのは同じ洞窟でも、同じことを同じタイミングでしゃべり、同じ動作をしているという日はそうそうない。毎日同じようで微妙に違う。こうした方がもっといい、これはやってみたけどイマイチだった、そういう試行錯誤の繰り返し。
大前提として参加者の方が毎回違う。天候も違う。自分のリズムも微妙に違う。そうした中で毎日のツアーが繰り広げられていく。同じプログラムを毎日やっていても、安定というものはない。
これを大変だと感じるか、面白いと感じるかは人それぞれだと思うけど、幸いどうやら自分は面白いと感じられるタイプのようだった。それがわかっただけでも、この夏洞窟に通い詰めた甲斐はあるのかもしれない。
「毎日同じことをしていて飽きない?」と聞かれるときがある。端から見ると同じことの繰り返しに見えるのかもしれない。自分も以前はそう思っていた。
でも今ならわかる。飽きない。毎日少しずつだけど前進しているのが感じられるから。
これを何十年と続けたらどうなるのだろうと思う時がある。それはやってみなければわからない。その先を見てみたいと思う。
川上村の夏祭り・かみせ祭で出展
8/5(土)に開催された川上村の夏祭り・かみせ祭に出展しました。
地域おこし協力隊卒業を機に、この春から川上村商工会に個人事業主として加入し、若手の入る青年部の一員となりました。
かみせ祭はもう30年以上開催されている、川上村の夏祭りともいうべきお祭り。商工会が主体となってお祭りをつくっているということもあり、今年から始まったかみせブランド品評会という事業者紹介コーナーに出させていただきました。
ステージでは、ツアー割引券をかけて〇×クイズ&じゃんけん大会。
ブースでは、インタビュー動画とツアー写真集の展示。
自分自身この春に地域おこし協力隊を卒業したばかり。完全な個人事業主としてはまだ約4か月が過ぎたところで、仕事の組み立て方や生活のスタイルというのはこの先しばらくは(もしかしてずっと)試行錯誤の繰り返しだろうと思います。
そういう意味では自分自身の立ち位置やインタビューでの受け答えなども迷うところがあったのですが、「現時点での自分はこれ」というものを切り取れたという意味で、いい機会をいただけたのかなと思います。
祭りのフィナーレは恒例の花火。決して派手ではないですが、谷間にこだました音が体にずん、と響き大迫力。来年の祭りはどんな風に迎えるのかなぁと、花火を見上げていました。
度付きマスクを買って考えたこと
ネットで注文していた度付きマスクが昨日届いた。
きっかけは先日、川でシュノーケリングをしたこと。
僕は目が悪いので、普段は眼鏡をかけている。それでマスクをすると、眼鏡のつるの隙間から水が入ってくる→ので、眼鏡を外す→見えない。。。という状態になってしまった。
そのとき川底には多数の魚がいて、苔を食べる様子が面白かったり、魚の模様が美しかったりした。らしい。裸眼の状態でも魚がいることは見えていたのだけど、その動きや美しさまではよくわからなかった。それをこの目で見てみたい、と思った。
こっちに引っ越してきてからというもの、苦手だった水にカヌーで親しむことから始まって、たまに川に入るようになり、今年は沢登りにはまって、「川」とか「水」とかいったキーワードが気になるようになってきた。
以前は真夏でも大汗かきながら山(尾根歩き)でしょ!という感じだったのが、暑い夏はやっぱり沢だよね~という風に行動も趣向も変わってきている。
その変化には、やはりこちらの水のきれいさが大きく影響していると思う。
我が家から車で15分ほどでいける上多古川(こうだこがわ)。上多古ブルーなんて言葉が一部ではあるくらい、美しい水色。この写真は林道から川を見下ろしてとったもの。
〇〇ブルーというと有名なのが前鬼川。2年前の夏に沢登りをしたときの写真。ここは奈良の中でも結構南部(下北山村)なので、我が家(川上村)からはちょっと遠い。
でもわざわざ前鬼までいかなくても、きれいな水は身近にある。これは吉野川紀の川の源流近く、北又川。右上の方に小魚がたくさん写っている。
こっちもやはり吉野川紀の川の源流のひとつ、本沢川。川底の岩の模様が透けていて楽しい。
本当は山/森/湖/川といったものは全部つながっていて、区別するようなものでもないと思う。山の様子と川の色とそこに生きる魚に関連がないはずがない。今回買った度付きマスクを使って、水の中をいろいろ覗いたら、山を歩いたり沢を登ったりするだけではわからないことがわかるかもしれない。夏の楽しみがひとつ増えた。
山の日記念トレッキング 開催します
2009年夏、中国青海省・玉珠峰6,178mの写真
昔のデータを整理していたら、懐かしいものが出てきた。
2009年夏の中国青海省、玉珠峰6,178mへいったときの写真。日本・中国・韓国の三国学生交流登山で、このときは中国が会場となっていた。北京から確か1週間で6,000m峰を往復するという、いま考えるとすごいスケジュール。
このときは北京オリンピックの際、聖火をチョモランマ頂上までもっていったという鬼のような強さのチベット系隊員が大活躍で、ベースキャンプも、キャンプ1(アタックキャンプ)も事前に全部が出来上がっていた。
登山としては自分自身はほぼ何もしてないのだけど、高所というのは体のことをずっと気遣わないといけなくて、その神経を張り詰める感じが面白いなぁと思ったことは覚えている。
その後、いつか高所にいきたいと思いつつ、思うだけで時間が過ぎていってしまったけど…。そのあと6000の世界にいけたのは昨年2016年のことで、玉珠峰から7年後。寒さの感じなどもはや何も覚えていなかったので装備選びはイチからやり直しだった。
次は体が忘れないうちに実現させたいものだけど。どうなるかな。自分次第ですね。
ベースキャンプから見た玉珠峰
高所順応ハイク。氷河の末端を見下ろす。
キャンプ1へ、尾根を登高中。
キャンプ1からは頂上ドームがよく見えた。
頂上は天気悪くて何も見えず。。。
下山後、ベースキャンプから頂上ドームのトレースがうっすらと見えた